新事業展開の事例

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業種
取り組み

株式会社羽車 杉浦正樹

1918年創業。今年で105年を迎える大阪・堺の老舗印刷業、株式会社羽車。元々の主力製品はOEMの事務用封筒でした。

4代目杉浦社長は、「その封筒が自社製か他社製か、私にも分からないくらいありふれたものを作っていた」と語ります。

差別化できない商品、そしてそんな自社製品や会社を好きになれない社員たち。

時代はIT革命期。手紙の流通量が激減する最中において、選ばれる企業となるために乗り出したのは、「社員が好きだと思える自社商品」の開発でした。

今やユニークで高品質なオリジナリティの高い紙製品と温かみのあるアナログ印刷で、デザイナーや文具ファンを中心に絶大な支持を集める羽車。

同社が考える価値とは何か?杉浦社長にお話しいただきました。


届け方も商品である

1999年、差別化できない封筒のOEMから脱却するため羽車とは別に『ウイングド・ウィール』という会社を作り、デザイン性の高い名刺やレターセット、ウエディングのステーショナリーなど自分たちが本当に良いと思う商品を個人のお客様に向けてネット販売しました。2001年、東京の表参道に直営店をオープンすると、取材や「この店はどこがやってるんだ?」とお問い合わせもたくさんいただきました。次第にデザイナーさんも含めた法人のお客様から「こういうものは作れないか?」とご相談が入るようになり、それを羽車で受注するようにしました。『ウイングド・ウィール』でファンになってくれた人からtoBの発注がくる流れを作ったんです。この時大事だったのが最初に「卸をしない」と決めたことです。海外を除いて『ウイングド・ウィール』の商品は直営店でしか販売しませんでした。当然売上としてもスケールしません。「なぜ卸して全国的に展開しなかったのか?」私たちはもともと文具メーカーなので卸の販路はありましたし、取扱いのお引き合いもいただきました。ありがたかったのですがお断りさせてもらいました。それは私が、商品には「モノ」と「届け方」があると考えているからです。「届け方」も商品だと考えれば、そこにも自分たちが携わりたくなってきます。活版印刷の良さや紙が環境に配慮したものかどうかなど、社内の人間ならば丁寧に語れることでも、どこかに頼んでしまうとそうはいかない。結果として「届け方」という商品管理が甘くなります。私は全ての接点がブランディングであり、店頭の接客、商品の品質、サンプルの見本帳、あるいはお問い合わせの電話応対に至るまで、提供している価値だと考えています。

『ウイングド・ウィール』を始めた頃、羽車と一緒にものづくりがしたい人を増やすためには、自分たちで商品の「届け方」をコントロールし、価値を丁寧に伝えることが不可欠だったんです。

業績評価がない会社

価値を作り届けるのは、突き詰めれば「人」です。ですから羽車の社員評価に業績評価は一切なく、人柄だけを見ます。「誰からも声をかけられやすく、いつも心が笑顔の人」など目指す人物像がまとめられた独自の「10の価値観」が唯一の評価軸です。これが始まった10数年前、私にはずっと違和感がありました。たまたま良いお客さんがいて成績が上がった人の評価は高く、そうでないお客さんを担当した人の評価は低くなる。会社の利益だけを評価して給与を高くする仕組みが嫌だったんです。

それを辞めたいと会議で2年くらい言い続け、渋々幹部に「どうするつもりですか?」と聞かれた時、私は「この会社で好きな社員が何人かいる」と言いました。その人はいつ話しても笑顔だと。私が何か新しいことをやろうと言うとすぐに「やりましょう」と言ってくれる人もいる、と好きな社員の性格を6人分くらい話したんです。「こういう人がいっぱい居たら、ウチの会社良くならへんか?」って。最初はみんなそんな評価は無理だと言ったんですけど、ある日「製造部のこの人、なぜ評価が高いの?」と聞いたら「彼はクレームは出てますが、それは一番難しい仕事に挑戦してくれてるからなんで」って言うんです。それは私がやりたい評価と同じだということで、全員でどんな人がいいか話し合って「10の価値観」ができました。価値を作り届ける上で、その人自身の人柄が良いこと、そういう企業文化を作ることはとても大切だと思います。

縮小する中でも選ばれる存在に

差別化で言えば「程度の差」はやめようと言ってます。他社よりもうちょっと安いというのは程度の差です。明確な違いというのは、例えばウチのコットンペーパーは、14度で管理された富士山の地下水で抄造してもらってるんです。万年雪が溶け、30年ぐらい濾過されたものを井戸水で汲み上げて作る。こんなオリジナルの紙を作っている印刷会社は他にありません。この紙で名刺を作ると風合いが全然変わってきます。私たちのものづくりは、一つひとつに手を抜かないものが多いです。

羽車の目的はお客様のブランディングのお手伝いです。でもそれは動画やSNSなど時代とテクノロジーに寄り添ったビジネスをするという意味ではなく、紙を介した温かみのあるコミュニケーションをプロデュースするということです。今後紙の市場は減るとは思いますが、ものがある限りそれを包むことや届けることは必要です。ゴミが世界中で大変な問題になっている中、私たちは紙であっても捨てられないものづくりをしたい。パッケージや紙製品でも額装して飾れるくらいアート性が高いものならば、大切にしてもらえると思うんです。小さくても市場がゼロにならない限り、その中で選ばれる存在になっていきたいですね。

新規事業は「ロングセラーをつくること」

私が大切だと思うのは「ロングセラー」です。やっぱり何十年も愛せる事業がいいんじゃないかと思います。新規事業ってすごいエネルギーも資材もお金も投入します。気軽にやって駄目だった経験にも学ぶことはあると思いますが、どこかで腰を据えて「この事業だ」と決めなければならないと思います。始める時に私が大切にしているのが「10歳若い時の自分、10歳年のいった時の自分がその事業を好きかどうか」という視点で見ることです。そう考えれば、その事業が単にトレンドに乗ったものかどうか見えると思います。ウチの会社にはそういうフィルターがいくつかあって、行動指針として「自分が心から好きな事業でなければ手を出さない」と決めています。三角に重なる3つの円があるとして、1つめの円は「差別化できているか」、2つめが「好きかどうか」、3つめが「生産性が高いかどうか」で、この3つが重なる一番濃い部分だけをやるんです。自分は好きだけど、生産性も悪いし、差別化もできてない。差別化はできてるけど、自分は好きじゃない。そういうものはやりません。新規事業なら、特に生産性が悪いことはやめた方がいいと思います。利益が出ないことをずっとやるのはしんどいので。生産性が良くて、お客様や世の中にちゃんと求められて、自分も好きなもの。これがロングセラーの秘訣だと思います。

新規事業を始める方へ「ゆっくりとして急げ」

ヨーロッパには「ゆっくりとして急げ(Festina Lente)」という格言があります。ここには、ものごとを始める時に大切な要素が二つ入ってます。事業を始める時はいろんなことを考えなければならない。しかし、スタートした時には「Now or never(今しかない)」という感じで一気に行くということです。私はこの言葉が好きで、今やらなければ永遠にやるチャンスは来ないと思って取り組みます。これにはエネルギーも覚悟もいると思います。私も『ウイングド・ウィール』の前にいくつかの事業を失敗してるんですけど、振り返ると社会的な意義もないし「何となく良いかな」でやっていました。でも、それ以降大きな失敗はないんですよ。たぶん思い付きや誰かに言われたからというのは、ダメなんでしょう。本当に自分が考えて考えて、国内外の会社を見て、回って、分析して、前後10年の自分にも問うて、この事業で行く!って決めたものは、そうそう揺らがないですよね。

私は新規事業って、根っこに水をやるような息の長いものだと思っています。急に枝も伸びないし、花も咲かないけど、私たちにはきれいな花が咲くことをイメージしながら水をやることしかできないんですよ。すごく長いけど、それをやる覚悟がいるんだと思います。


すぎうら・まさき
963年大阪府生まれ。1999年個人向け手紙商品を扱うブランド『ウイングド・ウィール』を立ち上げ、OEM主体だったビジネスモデルを転換。レター用100%コットンペーパーやオリジナル和紙の開発、伝統的な職人技による商品作りに取り組む。2006年4代目社長就任。近年では、独自の働き方改革によりコロナ禍において売上を伸ばしながら低い離職率を実現するなど、その企業文化が注目を集めている。


株式会社羽車
代表取締役:杉浦 正樹
創業:1918年10月7日
本社所在地:〒599-8101 大阪府堺市東区八下町3-50
TEL:0120-890-982
事業内容:封筒・紙製品の企画・製造・販売、インターネットによる通信販売


『大阪のあの企業が考える価値とは何か?』

発行元 | 大阪府商工労働部中小企業支援室経営支援課
発行日 | 2023年9月1日
プロデュース | 枡谷郷史、足立哲(大阪産業局)
企画・取材・記事・デザイン| 古島佑起(クリエイティブ相談所 ことばとデザイン)
プロジェクトマネジメント | 吉原芙美(クリエイティブ相談所 ことばとデザイン)

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